開発者の雑感

ディズニー映画『レミーのおいしいレストラン』の名言:イーゴの評論

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最近、『レミーのおいしいレストラン』(原題:Ratatouille)という映画を見ました。
2007年の映画ですが、第80回アカデミー賞で長編アニメーション映画賞を受賞した作品なのでご存知の方も多いかもしれません。
本作の中でとても感銘を受けた言葉があったので、そのご紹介と私なりの考察を書いてみました。

(以下、ネタバレあり)

 

1. 『レミーのおいしいレストラン』あらすじ

本作は、主人公であるネズミのレミーが天才シェフ・グストーに憧れて、ネズミでありながら非凡な料理の才能を発揮し、彼亡き後のレストランを盛り返すサクセスストーリーです。

パリの美しい街並みを舞台に、コミカルなタッチで描かれた個性的なキャラクターが織りなす物語で、大人も子供も楽しめる作品です。

その一方、何気ないセリフの一つ一つに非常に含蓄があり、とてもメッセージ性の強い作品だと感じました(なので個人的には大人向けの印象です)。

 

2. イーゴの評論

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さて、本作を語る上で外せないキャラクターの一人にイーゴという辛口評論家がいます。

その冷徹な批評は天才シェフ・グストーにも向けられ、結果的にグストーはその批判を受けたショックで急逝してしまいます。
時は流れ、グストーのレストランは、彼に憧れたレミーが作る料理のおかげで名声を取り戻しつつありました。
噂はイーゴの耳にも届き、いよいよ物語の最後、彼はレミーの料理を評価すべくグストーの店を訪れます。
そして、レミーの作ったラタトゥイユを食したイーゴは、翌日の新聞に批評家生命をかけた評論を寄稿します。
この評論が名文中の名文でした。
少し長いですが、全文を引用させていただきます。

評論家とは気楽な稼業だ。
危険を犯すこともなく、料理人たちの必死の努力の結晶に、審判を下すだけでよい。
辛口な評論は、書くのも読むのも楽しいし、商売になる。
だが、評論家には、苦々しい真実がつきまとう。
たとえ評論家にはこけ降ろされ、三流品と呼ばれたとしても、料理自体の方が、評論より意味がある。

しかし、時に評論家も冒険する。
その冒険とは、新しい才能を見つけ、守ること。
世間は往往にして新しい才能や創造物に冷たい。
新人には味方が必要だ。
昨夜、私は新しいものに巡り合った。
思いもよらない作り手による素晴らしい料理を味わえたのだ。
作品も、その作者も、美味しい料理についての私の先入観を大きく覆した。
これは決して大袈裟な表現ではない。
まさに衝撃だった。
かつて私は、「誰にでも料理はできる」という、グストーシェフの有名なモットーを嘲笑った。
でも、ようやく彼の言いたかったことがわかった気がする。
誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくはない。
グストーのレストランの新しいシェフは、恵まれた環境に生まれ育ってはいない。
だが、料理の腕において、フランスで彼の右に出るものはいまい。
近いうちにまた訪ねるとしよう。
今度はもっとお腹を空かせて。

 

3. 世界中のクリエイターを勇気づけるエール

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ネズミはいうまでもなく、レストランにおいて最も忌み嫌われる動物の一つです。
調理場に出ようものなら問答無用で駆除の対象です。
そのネズミが作った料理だということを知った上でのこの評論。
地位も名声も確立された料理評論家にとっては冒険も冒険、大冒険です。


どの立場でこの評論を読むかによって感想は変わると思います。

まず作り手側(料理人側)で見ると、私もDreamscopeでは作り手側になるわけですが、率直にいってこの評論にはとても勇気づけられました。
ユーザの皆様からいただく評価コメントやメールはありがたいことに励ましのお言葉が多いのですが、中には辛辣なご意見もあり、そんな時は正直かなり落ち込みます(苦笑)。
だから、

たとえ評論家にはこけ降ろされ、三流品と呼ばれたとしても、料理自体の方が、評論より意味がある。

この言葉には本当に救われる思いがします。

そして、

誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくはない。
グストーのレストランの新しいシェフは、恵まれた環境に生まれ育ってはいない。
だが、料理の腕において、フランスで彼の右に出るものはいまい。

この件は、志はあるけど実績も味方もいない若いクリエイターを奮い立たせるエールになっていると感じました。

 

4. 時に評論家も冒険する

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次に、評価する側の立場にたつと、この評論は、大衆に迎合し安易な評論を撒き散らす評論家への強烈な問題提起になっています。

この映画が上映された2007年と比べると、SNSや評価サイトの隆盛に伴い、今や誰もが評価する側に立つ機会を与えられています。
その意味では、イーゴの評論は決して一部の評論家だけに向けられたものではなく、私たち一人一人が考えなければならない問題だと感じました。

世間は往往にして新しい才能や創造物に冷たい。
新人には味方が必要だ。

とイーゴは言いますが、新人に限らず作り手側は評価する側が思っている以上にその評価に敏感で、良くも悪くも何気ない一言が刺さったりするものです。
だから、私自身も評価側に立つこともあるわけですが、イーゴほどの大冒険は難しくとも、よいと思ったものはひと手間を惜しまず、作り手に伝える努力をしていきたいと強く思いました。
その一言一言の積み重ねが、クリエイターを励まし、育て、ひいてはよりよい世界を作る一助になるはずです。