表現のコモディティ化

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昨今AIの進化は留まるところを知りませんが、衝撃的なAIが生み出されました。

OpenAIのDALL-Eは言葉による指示で「それらしい」画像を作り出す

添付画像のように、言語(例:犬を散歩させているチュチュを着た子供大根)を入力すると、まるで人間が描いたような画像を生成するAIが登場しました。

これからはデザインやアートといった人間にしかできないと言われていたものもAIが代替してしまうかもしれません。

一方、上記とは関係ありませんが、SNS時代における「表現のコモディティ化」では、SNSの進化が表現のコモディディ化を進めると言う話が写真を例にとって丁寧に解説されています。

AIにせよSNSにせよ技術の進化は恩恵も大きいですが、それによりコモディディ化が進むのは避けられそうもありません。
コモディディ化とは代替可能品で溢れかえるということです。
頑張って何かを作っても、すぐにそれと同等かそれ以上のものが出てきてしまう。
この状況は作り手側からすると非常に厳しい世界です。

そんな世界において、コモディディ化されずに残るものは何でしょうか?
それはその人らしさだと思うのです。一人として同じ人間はいないわけですから。
上記の記事の最後にも

20年代以後のクリエイターが目指す一つの道は、この「自分だけの物語をどう表現に落とし込むのか」というところに尽きるんだと思うんです。

と書かれていますが、全く同感です。
単に今その人に顕在化している個性だけでなく、その個性を形成するに至ったその人ならではの体験・ストーリーも含めて作品に落とし込めるかがコモディディ化を避ける一つの鍵になると思います。
(言うは易し行うは難し、の典型だと思いますが)